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2024.10月 インド

少しお休みをいただき8か月ぶりにインド研修へ行っていました。

ガンジス川で沐浴してからのヨーガ旅となりました。

ガンジスは汚れているイメージがありますが
北のほうはヒマラヤの雪解け水が流れてきているのでとてもきれいです。
頭までずっぽりとつかりましたがおなかが痛くなることもなく元気です。

現在もたくさんの聖者が修行している生きた山ヒマラヤ。
その恩恵がガンジスに流れてきています。

流れがとても速いし、深さもあるので、鎖をつかんで入らないと流されてしまいます。
もし流されたら、少し先にある大きな橋のところにたくさんの鎖が一定間隔でぶら下げられていて、最後につかむことができるようになってはいますが、その鎖をつかめなかったらどうなるんだろう。。。。

そこから1週間はアシュラムというヨーガの道場に入りました。

訪れていた1週間はちょうど女神さまのお祭り期間でした。
インドにはたくさんのお祭りがあるのですが
今回のお祭りは新婚女性が旦那様の健康を願って断食するというお祭りでした。

お祭りが終わった時、旦那様が断食明けの奥様に最初の一口を食べさせてあげるそうです。

アシュラムでもお祭りの最後の日にお祝いということでスペシャルなお料理が楽しめました。


バナナの葉っぱのお皿

次の1週間はダラムシャラというさらに北にある場所に上がるため移動しました。

デリーに戻るために5時間バスに乗り1泊したのち
デリーから5時間ちょっと電車に乗って、そこから3時間半、ヘアピンカーブの山道をグネグネ登っていきました。
標高は1600くらいだと思います。ヒマラヤの一部です。

たどり着いたときには乗り物に揺られてフラフラで標高の高さで足元がふらつき酸素の薄さでちょっと急ぐと息が切れました。
2日ほどで慣れましたが、なかなか簡単にたどり着ける場所ではないと思いました。


電車のホーム 満月と共に


電車の中で配られる朝ごはん

ダラムシャラはチベット亡命政府のあるところです
カラフルなチャクラカラーの旗はタンカといわれるもので
この旗がヒマラヤの風に揺れると祈りのお経が旗の中から出てきて風に流れて届くというものです。
馬がお経を運ぶともいわれています。

私たちもチベット僧侶の方たちがプージャ(護摩炊き)をしてくださったタンカに
名前を書いて祈りをかいてヒマラヤの山の中に結んで帰りました。

チベット僧の声は倍音といわれ、
一人の声なのですが何人もいるような声の出し方をされます。

子供のころから僧侶になるために修行と練習をしているから倍音が出せるようになるそうです。

チベット僧侶の方が住まう寺院の一角のアパートには小学生低学年くらいの子供もいて
僧侶になるための道を生きていました。


チベット伝統文化 作業途中

チベットの現状について何も知りませんでしたが本当に悲しい歴史が今なお続いています。

ダライラマ14世さんはご高齢ですが一人一人の目を見て手を握ってくださり、この方の背負っているものは
計り知れませんが、深い慈愛に満ちた聖なる存在でした。

今回はサイレント(沈黙)というテーマがベースにある研修でしたが
息を吸う吐くの間にあるわずかな沈黙やお皿を洗う時、お掃除する時、歩くとき。
どんな時でも沈黙とともに行為をしていくことで言葉にできない感覚の中に言葉にできない何かが湧き上がってくるようなそんな経験を少し垣間みた気がします。

しゃべるとはエネルギーを使う行為です。疲れた時は静かにしていると体力を回復できますね。

ヨガというとポーズができるようになりたいと思ったり、こんな症状にはこんなポーズといったことがクローズアップされがちで、
特に日本では目に見えるところを整える風潮が強いのですが、ヨーガというものはそうではないと、インドに行くたびに、強くて迷いのない言葉と態度を一人の実践者として先生たちが体現してくださっているので、私の中の迷いもどんどん振り払われていきます。

マットの上だけでヨーガをしているつもりにならないこと。考え方、態度、言葉、音の立て方、声の出し方、すべてに自分が現れて、どんなに取り繕ろうとしても隠すことはできないものだなと身をもって感じています。ヤマ・ニヤマ。ヨーガの基本。実践者でいるためには様々な自分と対峙することになりますが、面白いところでもあります。

今を思う時、(あるかどうかはわかりませんが)過去世・現世・来世という大きなサイクルで観た時に、今の行動や考えを変えていくことをためらったり、自分でブレーキをかける必要は少しもないなと。人生100年と言えども、宇宙という視点で見ると私たちの今はあっという間だなと、ヒマラヤを目の前にかんじました。

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